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高崎中央銀座商店街

 昭和26年(1951年)、古くから個人商店で賑わっていたこの地域に、中央銀座商店街協同組合が設立された。時代は、戦後復興から朝鮮特需、高度経済成長期へ向かう中、商都高崎の一層の発展を目指していた。

 昭和47年(1972年)、鞘町、中紺屋町、寄合町、新紺屋町の4つの町にまたがる430mのアーケードが完成。アーケード街の店主は、店舗奥や2階を住居とし、日々商売に万進していた。当時、中紺屋町、寄合町、新紺屋町には、254世帯851人が居住しており、その人々の消費財と、周りの町から集まる人々の消費財とによって、高崎中央銀座商店街は繁栄していたのである。

令和2年、この3つの町には、95世帯174人が居住している。

昭和47年から48年間で677人、約80%の人がこの町を去ってしまった。

 アーケード街をつくった人々は、この町の未来をどう描いていたのであろうか。

 

 

Takasaki Orion

 商店街の中ほどに、映画館「オリオン座」がある。

その歴史は古く、140年前(1880年)、高崎田町にあった「田琴座」が焼失したため、現在のオリオン座の地に新築移転し、藤守座という舞台劇場が新築された。

その後、藤守座は高崎町民の娯楽の場として賑わった。見世物興行から活動写真、キネマ、映画と、大きな技術革新による表現方法の変化を経て、藤守座の名称も、世界館、第二大和、高崎松竹映画劇場、オリオン座と変化していった。

 藤守座の舞台演者や、オリオン座のスクリーンに映し出される俳優は、当時の人々に対し多様な思想や感情を表現し、幾度となく繰り返された戦争という不幸な時代をも乗り越え、人々の心を豊かにしてくれた。

 

 幾つもの豊かな心をつなげ、幾つもの笑顔をオリオン座でつくってくれた。

 

 

オリオン座とSDGs

 令和の新しい時代。

わたしたちの未来のため、今、何ができるだろうか。

 世界中が貧困、気候変動、都市開発、人口減少、人種やジェンダー差別など、様々な問題・課題に直面し、SDGs(持続可能な開発目標)が提言され、達成に向けて動きだす時代の到来だ。一人一人がダイバーシティと向き合い、多様性を受け入れ、誰もが自分らしく生きられる社会を目指そう。

 SDGsの17のゴールの入口は、行政や企業の問題だけではなく、ひとりひとりの心の中にある。私たちはフリーハンドだ!169のターゲットに向き合い、自分なりに行動を起こしてみよう。

 色々なアクションがあっていい。イノベーションも大切だ。

 新たな常識を作り出すのだ!

人類の課題、我々の課題、「私」の課題であるSDGs。

バックキャスティングな考え方で、高崎オリオン座を『SDGsに挑戦するLABO』にしたい。

 

 この街、旧市街に人を呼び戻し、そして住んでもらいたい。

 

 

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